令和2年7月豪雨 球磨川大水害の雨の降り方
令和2年7月豪雨で、球磨川の人吉盆地で大きな被害が発生しました。
その時の雨の降り方について、まとめたものが余り見当たりません。
雨がどこでどのように降ったのか、時間ごとに見ると何が起こったのか見えてくるものがあります。
気象庁の解析雨量を元に、まとめてみました。
修正)河川データを変換できましたので、詳細な流路を示すことができました。図を書き換えています。
「国土数値情報河川データセット (NII作成) 国土交通省のデータを翻案」
球磨川の地形
球磨川の地形をみてみます。
上流域は、人吉盆地が占めており、盆地に流れ込む水が、全て球磨川に流れ込んできます。
中流域は、渡周辺で両側に山が迫り、渓谷を作っていきます。盆地に比べて流路が大変狭く、日本三大急流にもあげられている区間になります。
下流域は、八代の平野になり、山がなくなり開けた土地になります。
人吉盆地が広く、中流が狭く長いので、まさに「砂時計」のような形になっています。
上流に大量の雨が降ると、中流の渓谷がボトルネックとなって流れが滞るのが球磨川の特徴です。
どのように雨が降ったのか
気象庁の解析雨量(レーダーの雨雲の強度をアメダス観測値で補正し、面的な雨の量を示したデータ)を用いて、7月3日21時~4日10時までの雨をみてみます。
ちなみに、こちらは自分で気象庁バイナリデータからテキスト展開し、GMTで作画したものです。
こんなことできる気象キャスターはいないだろうなぁ。
動画で雨の時間ごとの変化を見ると、雨の降り方の変化が動きで分かりますね。
- 線状降水帯が、熊本県南部を鹿児島県から北上し、停滞後再びゆっくりと南下。
- 3時~4時が一番のピークに。
- 停滞した所が、芦北町~球磨川中流~川辺川上流で、5時間ほど続く。
- 人吉盆地の中心部で大雨が降ったのは、7時以降。
球磨川流域の全域で、同時に大雨になったわけではないことがわかります。
最初の大雨は、中流の一番川幅が狭く、水が流れにくい所に降ったことになります。
その後、雨雲が北上を続ければよかったのですが、このあたりで停滞し、さらに南に戻ってきたことで被害が大きくなったと考えられます。
雨を積算してみると
さらに、さきほどの解析雨量を、0時からその時間まで積算し、どれだけの雨が降ったのかをみてみます。
また、別の視点で見ることができます。
これも、自分でバイナリデータをいじれるから作れるわけですね。
積算すると、どこでどのように雨が増えていったのかを見ることができます。
- 熊本県南部の広い範囲で、12時間に400ミリを超える記録的な大雨。
- 芦北町では、6時間で200ミリ前後、そこから3時間で倍増。
- 球磨川中流では、6時までの9時間で350ミリを超える大雨だが、特に3時から6時の3時間で200ミリほどの雨が降っており、川幅の狭い所に急激に大量の雨水が入っていた。
- 人吉盆地のさらに最上流部や川辺川で6時までに300ミリ超の所があり、その雨水が盆地中心部に流れ込む2,3時間後に中心部も急激に雨の量が増してきた。
6時までには人吉盆地の出口から、球磨川は流れにくくなっていたと考えられます。つまり、
球磨川の出口が塞がれた所に、すでに降っていた上流からの大量の雨水が流れ込む中、同じタイミングで盆地内で大量の雨が降り、球磨川の排水能力を超えてしまった
ということになります。全てが最悪のタイミングで揃ってしまったため、大きな被害が発生しました。
上流が大雨になるとどうなるのか
上流と中流に、同じ量の雨が同じ時間だけ降ったと仮定します。
上流と中流に雨が降るタイミングが同時なのか、数時間違うのか、比べて見ました。
数時間経つと、上流の雨水が川を下って中流に流れ込みますが、中流で降った雨も下流に流れるので、水位は変わらないことになります。 | 数時間経つと、上流の雨水が中流に流れ込みますが、その時に中流でも雨が降ると、中流の雨水も加わって、水位が倍増することになります。 |
降った雨は、川に流れ込んで、その場の水位が急激に上がることになります。
数時間経つと、雨水が川を下りますが、下った先で大雨になると、その場の雨も加わって想定以上の水位の上昇となるわけです。
まとめ
流域全体で記録的な大雨になったことが球磨川氾濫の原因になりますが、雨雲の動きや積算雨量を解析することで、その中でも大雨のピークが2,3時間のずれがあることがわかりました。
その降った時間のずれが川に流れ込む時間と合ったこともあり、甚大な災害に繋がったと考えられます。
自分の所の大雨だけでなく、流域全体の雨を知ることが命に繋がるということになります。
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